社長挨拶

 

・世界一を更新した男
・世界征服を果たす男
・天才エンジニア
・勉強オタク
・超パワフルな運命らしい
・お絵かきが趣味
・アクアリウムが趣味

大学時代に世界一の制度を誇る金属解析システムの改良リニューアルに成功
某大手通信会社にて2年勤務。1年目にして業務支援システムの設計に大きく貢献し、2年目でセキュリティサービス開発の主任を努めるなど、周りに大きく差をつけて活躍

現在は自身が構築したWEB/AIシステムは幅広く、そのシステム達は日本300億円以上の経済を支えている

エンジニアには珍しくマネタイズ・営業・企画の領域でも才能を発揮
会社の売上は累計で4億円を超え、5人にも満たないエンジニアメンバーで1億以上の開発案件もこなす

絶大な理解力から、普通では考えられないほどに幅広い分野のシステムに触れており
WEBサービスやAIを始め、ゲーム開発やブロックチェーンなどの技術も体得

関わった業種も幅広く
金融・アパレル・工場・大手FC本部・大手WEBプラットフォームなどなど

エンジニア界隈、経営者界隈からも天才と呼ばれ
IQ130以上の人しか入れないメンサ会員でもある



幼稚園時代・・・

とにかく作ることが大好きで、秘密基地を10個以上作って遊んでいました 
いたずらも好きで、とにかく気になるものはいじってみる子でしたね


小学生時代・・・
クラスでメダカを育てていたのですが、メダカがメダカの卵を食べてしまうという状態でして。

クラスのみんなが困っていたのですが、「要はメダカと卵を接触させなければいい」と考え、水槽に細工をしまして、見事にメダカの卵を食べられるのを防ぐツールを発明。先生からも同級生からも『発明家』と呼ばれるようになりました。

また3年生くらいのときから三国志を読み始めましたね。頭脳で生きている軍師の徐庶やカクが好きでしたね。武将だと文武両道の趙雲が大好きでした。頭を使うこと、創意工夫の素晴らしさに気づいたのはこの頃かもしれません。

三国志で一番心に残っている場面は、曹植が7歩あるく間に詩を読んで評価される場面ですね!
尋常じゃない速度で、いいものを作り出すクリエイターの生き様、今のわたしの信念にも反映されていると思います。


中学生時代


司馬遼太郎の『竜馬が行く』を読んで、坂本龍馬に惚れ込みました。ヒーローとしての生き方、その人生に憧れたんですね。政治や経済で国を動かしていく姿がかっこよくて、将来自分も影響力を持ちたいと考えるきっかけを与えてくれました。

実は、僕の名前が「雄歩(ゆうほ)」というのですが、小中の頃は「UFO」「未確認飛行物体」とからかわれることも多く、結構コンプレックスだったんです。
でも大人たちは、僕の名前をすごくいいと言ってくれていて。なんでなんだろうなと。

親に聞くと、「雄大に歩いて欲しい」という想いがあって付けた名前だとか
(「遊び歩く」と迷っていた話は内緒w)

当時は「雄大に歩く」っていうイメージが全くつかなかったんですが、『竜馬が行く』を読んで、これは雄大な人生だなと痛感しました。竜馬だけではなく、高杉晋作や新選組、多くの人物が命を燃やして国の未来を作る姿に心が震え、雄大に歩く存在として「こうなりたい」と強く思えるようになりました。

この頃から僕の夢は「ヒーロー」です。
そして、現代の「ヒーロー」ってなんだ?と悩んだ結果、経営者になることをこの頃から決めてましたね。


横須賀高校時代・・・
小泉元総理を輩出した名門高校に入学して、偏差値も80を超え、学年1位を何度もとったことを覚えています。

1年生のときにお化け屋敷も面白い細工をたくさん仕掛けたり
3年生ではロミオとジュリエットの演劇脚本を書いて、役者もやって。創造力を開花できたのはこの頃かもしれません。

このから同級生たちからは恐れ多いことに「天才」「発明家」と呼ばれていましたね。

受験勉強はかなり効率よくできて、まともに勉強したのは3年になってからでした
同級生もみんな、僕が東北大に入ったのは驚いてましたね笑

当時から、勉強法に関しては並々ならずこだわっていて、東北大に入ってからもすぐに「勉強方法」に関するホームページを立ち上げるくらいでした。


東北大学時代


東京大学に進むべきか悩んだのですが、実家から通うのが嫌で、「世界一」のワードにひかれ東北大学の工学部材料系に進学しました。当時、材料系での論文被引用数ダントツの世界一が東北大学だったのです。

パソコン使って勉強方法に関するHPを作ったのですが、広告費をかけずにも月間アクセス数1万くらいでしたね。アメブロで恋愛に関する情報を発信していたのですが、恋愛部門では1位。母が本を作っていたのでフルスクラッチ(0から制作)でECサイトを作ってプレゼントしたりしていました。そんな体験から何でも作れる自信を抱きました。

東北大学では世界一の金属粘度計測装置があるのですが、不具合があったりシステムが20年以上前のものでとても古く、動作不良があるなどの問題を抱えてました。そこでシステムを .net 書き換えたんですよね。そしたら不具合がなくなるだけでなく、精度も改善。世界一のシステムを更にいいものにしてしまいました笑。その成功体験からプログラミングなどの領域にのめり込んでいきました。

また、クラスの総合代表を務め200人を統括する立場でした。花見を開催して100人集めたたりとリーダーの素質も少しずつ開花していたのかもしれません。


超大手通信会社に就職


在籍していたのは2年ほどだったのですが、新人ではありえない仕事を任されていました。

その分残業もすごかったですが笑

年間数十億円の売上が直関わる仕事だったため責任感もあり、いろいろな経験をさせてもらえた2年でした。

ただ自分はもっとレベルの高い仕事ができると感じ独立するに至りました。


 

正直、エンジニアって儲かる仕事で、学べば誰でも平等にスキルが身に付くんです。


きちんと構築して納品すれば、とても感謝される仕事ですし年収も高く、とてもおすすめの職業です。

現在日本のサラリーマンの給料の中央値は400万円ほど。
日本のフリーランスの年収中央値は200万円ほど。

僕は自分の経験を若い人たちにどんどん共有して、優秀なエンジニアを増やし日本経済をより良いものにしていきたいと思っています

次なる目標は1,000億円の経済を支える会社にすることです。
最終的には Google のように世界に影響を与える (=世界を征服できるような)サービスを生み出して時代を作りたい

そのためにもたくさんの方々の応援が必要となります。

これからも株式会社ウォーカーをなにとぞよろしくお願い致します。